踊る炭焼きの水曜ダンス部
本日は愛知県を出て、岐阜県は養老町にて行いました。
養老町は、私の父親の故郷です。
私が結婚をして、新しい世帯を構えて以降、実家が在所となり、父親の在所とは距離が出来てしまっておりました。
種田氏は、今尚岐阜県大垣市くんだりに割拠する家柄で、1400年頃、源義光(新羅三郎義光)系の小笠原政康の子孫の、信濃守政貞から始まったとされています(大垣市の種田氏の持つ古文書より)。
大垣市から外れて、養老町に在所をなす様になった我が先祖には、様々な事情があった様ですが、それを詳しく知る清叔父さんは、もういらっしゃいません。
種田と書いてオイダと読む。
愛知県では、珍しい方の苗字で、三河種田家は、父が一代目になるわけです。
本日年末年始を目前に、雪が降る前に家族でお墓参りをしようということになり、養老町へと出かけることとなったのです。
9月頃、娘と共に、米野の戦い跡地にて、鎮魂の舞を奉納させていただいた頃から、今年中に、お墓参りと共に行いたいと思っていたことがございます。
それがこの度の目的である宝暦治水工事に御尽力いただいた平田靫負(ひらたゆきえ)翁と薩摩義士の方々への感謝の舞を奉納させていただくことでした。
そして初めて家族全員で水曜ダンス部を行うことが出来ました。
私のルーツである地に、遠く鹿児島県から幕府からの指示を受け、900人余りの薩摩藩士がやって来て、難題中の難題であった治水工事に着手されました。
宝暦治水(木曽三川分離工事)と呼ばれます。
そしてこれは、薩摩藩士の方々にとっては、まさに悲劇であり屈辱的な物語となりました。
宝暦治水事件の顛末については、関心のお有りの方には、是非ともお調べいただきたいと思います。
治水工事を終え、全ての事務処理も万端整えた後、治水奉行であった平田靫負翁は、故郷たる薩摩に帰ることなく、我が先祖が眠る墓地のすぐそばにある大巻薩摩工事役館にてその生涯を終えられました。
なぜ亡くなられたのかについては、諸説あるそうですが、帯同した藩士を多数犠牲にしてしまったことや、想像以上に工事費用を掛けてしまったことへの責任をとり、切腹されたのだという説が有力です。
平田靫負翁終焉の地にて、御尽力いただきました薩摩義士の皆様へ、感謝の想いを込めて、家族揃っての舞いです。
#踊る炭焼き士 #踊る炭焼き士の水曜ダンス部 #宝暦治水 #平田靫負翁終焉の地 #薩摩義士 #ふるさと
#live_the_life_project
11月30日の続き
HI-D兄さんらと再会をお約束し、後半戦に向けて北名古屋市へ。
朝一番で丹下さんから、ヒコザの竹酢液のご注文をいただきましたので、そちらをお届けさせていただくという大きなミッションもございました。
丹下さんは、昨年9月に開催された
LIVE THE LIFE PROJECT公式火入れ式にご参加下さいました。そして窯に竹を入れる10人のうちのお一人となられました(私の選出)。
あれから何度かヒコザの竹酢液をお渡ししてまいりましたが、自信と確信を持ってお渡し出来たのは、今回が初めてであったかと思います。
れいぼうワークス所長の田中雅樹さんによる能登半島地震後の現地の様子についての報告から始まった「みんなのひろば」。
2024年1月1日元旦の夕方、愛知県も大きく揺れました。
実家に新年の挨拶に向かう途中、信号で停まっている時におこりました。
天気も良く、大晦日の除夜の鐘から、初日の出、そして氏神様とご先祖様へのご挨拶を済ませ、穏やかな幕開けとなった2024年でした。
素晴らしい新年が始まったと、おそらくたくさんの方々が思っておられたのだろうと察します。しかしながら、一瞬にして、一部地域の方々のこれまでと、これからが、激変してしまいました。
田中さんは、12月に地元で過ごしたため、年末年始は愛知県で過ごされることにしていたそうです。
もし例年通り、ご実家に帰省されていたら、田中さんもご家族と共に被災する形となっていたことになります。
地震の後、ご実家のご家族の安否の確認がとれるまでに数日掛かったそうです。
居ても立っても居られない状況で、生活物資等詰め込んで、現場に入られたそうです。
ご実家は、石川県大沢町という日本海側に面した地域で、そこまで行くための道が、ほぼほぼ寸断されてしまっており、辿り着けないまま、支援物資を運搬するボランティアを続けながらご家族からの連絡を待たれたとのことでした。
幸いなことに、田中さんのご家族皆さん救助されましたが、ご実家であった民宿は、地震の被害により、大きな打撃を受けてしまいました。遅々として進まない復興作業の中でも、在りし日の故郷を取り戻そうとする地元の方々に、追い討ちとなる台風による大雨被害。辺りは床上浸水や土砂崩れの影響が甚大で、立ち直りたいという想いを挫くのには、十分過ぎる程の現実に苛まれたそうです。田中さんも、もう実家に戻ることは無いだろうとのことでした。
故郷を失うということが、一体どういうことか。それは亡国を意味することと同義なのでは無いかと思います。たとえ遠くで暮らしていたとしても、やはり故郷があって、そこはいつまでも帰る場所であり続けていたはずです。帰るか帰らないかに関わらず、そこに存在しているということに、大きな意味があるのだと思います。
限界集落を復興することにおけるメリットとコストのバランスを検討して、予算を組み立てる必要があると、今年の4月に、何務ショウが発表しておりました。
復興とは、傷付いたまちを元に戻すのでは無く、被災以前よりも、更に盛り上げていくことを指すものです。
限界集落を復興しても、どれ程盛り上げられるか疑問だから、そこに資金を掛けるだけのメリットがあるのかという疑問と、寧ろ自己都合で限界集落で暮らし続けることこそ問題(自分勝手・自己中・迷惑等)では無いのかとか、インフラの整った場所に、早く移住した方が良いのでは無いかとかいった意見が、実際に聞こえてまいりました。
確認したいのですが、故郷を大切に思うことや、先祖代々暮らして来た場所で、暮らし続けたいという想いは、自分勝手なことでしょうか?
私も先祖代々が暮らしを繋いで来てくれた地で暮らしております。
能登半島の方々が、この先何代、彼の地で暮らされるのか、もちろん私には分かりませんが、被災した痛みと哀しみを背負っておられる状況で、故郷に戻りたいという希望を奪うということは、生きる希望自体を奪うことになりはしないかと思うのです。
私に何が出来るか、少なくとも、能登半島を故郷に持つ方々が、亡国の憂き目にあっているということを知ることは出来ました。
さてこの先どうするか、私に何か出来ることがあるか・・・
そんな想いが去来する中、何年かぶりのすぱっつさんの演奏と、なないろバンドの皆さんの奮闘を目の当たりにするのでした。
田中さん、切実なる想いの込められたご報告、有り難う御座います。
イベント終了後、控え室にお招きいただき、なないろバンドの皆さんの奮闘を労っておりますと、丹下さんが、開催直前にお渡ししたヒコザの竹酢液を、メンバーの皆さんにお配りになり、
「種田君の作った竹酢液です」
とご紹介下さいました。
丹下さん、心より御礼申し上げます。
そして、今週末のなないろコンサート本番も、大盛況・大成功を心より祈念申し上げます。
久々にお会い出来た方々、大好きな人たちばかり。
私のもう一つの故郷。
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11月30日土曜日は、私の人生において大切な方々との再会にあてられました。
午後2時から北名古屋市「もえの丘 健康ふれあいルーム」にて開催される「みんなのひろば2024」に参加することは、智ニさんから直々にお誘いいただいていたこともありましたが、田中さんによる能登半島地震についての報告にも関心があり、早くから決めておりました。
前日11月29日金曜日に、お世話になっている名古屋の大先輩柏木さんのお誕生日で、Facebookの方にお祝いメッセージを送らせていただくと、返信で翌日土曜日に、金山駅南口にて中部フィリピン友好協会40周年記念式典が開催され、そこでHI-D兄さんがパフォーマンスされるとお教え下さいました。そして、同じ頃、HI-D兄さんご本人からも、
「明日名古屋入りします」
とご連絡をいただきました。
はい、同日です。
HI-D兄さん名古屋入りでしたら、一瞬でもご挨拶させていただきたいと思っておりましたら、柏木さんが、式典のタイムスケジュールをお送り下さり、一つ二つ、諦められたら、HI-D兄さんにご挨拶がかない、尚且つ「みんなのひろば2024」にも間に合わせられるということで安堵致しました。
午前10:45頃金山駅南口に到着、既にHI-D兄さんによる国会斉唱は終わってしまっておりましたが、午後のライブステージが始まるまでの間、のんびりとした時間を共有させていただきました。
つい先日発表致しました
ヒコザPREMIUM 蒸留竹酢液 竹の雫
をお渡しさせていただきました。
私が前職を退職して炭焼き士になるとご報告すると、直ぐにご連絡を下さったことを覚えております。
「なぜ炭なのか」
ということについて、語り合いました。
あれから、私の方で、何か進展がある度にご報告をさせていただいております。
竹の雫から応援を受けたHI-D兄さんが、これからも最高のパフォーマンスを続けて下さいます様に。
ふとイベントに参加しながら、フィリピンと日本の歴史的関係性について、ほとんど存じ上げないというのとに気付き、こういう時に、ちゃんと押さえておけると、40周年を祝う意識も高められただろうと思います。
日本とフィリピンの関わりは、1500年代に遡りますが、国同士での関わりというよりも、日本出身の海賊とされる倭寇の貿易ネットワーク圏内で、その影響を受けられていたとのこと。
豊臣秀吉の治世の頃、フィリピンを占領しようと目論んでいた様子。
その後、時代は過ぎて、大東亜戦争の頃になると、フィリピン国内でも、アメリカ側と日本側で二極化してしまい、それは同族同士で戦った可能性を示唆するものです。
戦後日本が支援しておこったフィリピン第二共和国は滅亡し、暫定政府が立ち、フィリピン第三共和国が成立して、正式な独立国として立ち直ったそうです。
1941年バターン死の行進事件は、フィリピンの方々に忘れ難い傷を負わせてしまい、その傷が癒えて、改めて日本と新しい関係を築くまでに、40年近くの時間が必要となりました。
1980年代に入り、時の大統領が訪日し、昭和天皇に御面会されたり、平成天皇即位式にご参列下さったりと、良好な関係を築ける様になっていったそうです。
今から40年前とは、1984年ですから、中部フィリピン友好協会は、丁度日比間の関係が良好になる頃に、発足されたことが伺えます。
歴史の積み重ねと、足跡の先に、私たちの今があるということを、決して忘れてはならないのだと、改めて思いました。
そして今を生きる私たちが、明日の日本を生きる人たちにとって、生き易い社会を残していかなければならないのだと、切実に感じさせていただきました。
HI-D兄さんのパフォーマンスを拝見して、ご挨拶を済ませたら、北名古屋市へ移動。
「みんなのひろば2024」
の様子は、また後日・・・
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#LIVE_THE_LIFE_PROJECT
踊る炭焼き士の水曜ダンス部
本日の選曲
槇原敬之「僕が一番欲しかったもの」
先日能登方面を震源とする大きな地震が発生致しました。
あろうことか元旦に発生した大地震により、能登方面の方々の暮らしが一変し、復興が遅々として進まない状況の中、水害に見舞われ、そして師走を前にして、再び元旦を思い起こさせる様な地震と、筆舌に尽くし難い状況の中、現地の方々に心を寄せ、ボランティアとして支援を続けられている方々もいらっしゃいます。
能登方面の方々が一番欲しいものとは?
また支援に当たるボランティアの方々が一番欲しいものとは?
切実な想いが交錯しているのでは無いかと思います。
能登方面で暮らす方々、または想いを寄せて活動される方々が、安心して暖をとって、くつろげる環境が、一刻も早く整えられます様に。
今週土曜日北名古屋市「もえの丘健康ふれあいルーム」で開催される「なないろコンサート」では、石川県をご実家にもたれるドラムス担当:田中雅樹氏による、被災地の現状や暮らしについての報告会もございます。
ここ愛知にあって、私に何が出来るか。
何のお役に立てるか分かりませんが、伝えられることの無い、現地の様子を知り、感じたことを、この胸に受け止めたいと思います。
そして祈ります。
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踊る炭焼き士ダンスレッスン
本日ロータスマルシェで出会った林さんにダンスレッスンを受講していただきました。
林さんとは、ロータスマルシェの際にたくさんお話させていただき、マルシェ以後、連絡を取り合う中で、レッスン受講という運びとなりました。
いつも通り深呼吸から始めましたが、腹式呼吸が自然に出来ていらっしゃるご様子でしたので、何かスポーツをなさっていらっしゃいましたかとおたずねすると、学生時代に陸上部、特に棒高跳びの選手でいらっしゃったとのことです。
棒高跳びは、ポールを持って助走し、跳び越えるべきバーの手前に設置されたボックスにポールを突っ込み、立ち上がっていくポールのしなりの反動を利用して、バーを跳び越える競技です。
見た目以上に、ポールをしならせて全身を跳躍させることは困難です。
実は私も中学生の頃、セルゲイ・ブブカという選手に憧れて挑戦した経験がありました。元々走り高跳びの選手でしたが、ポールをグインとしならせて跳躍する姿があまりにもカッコ良く、是非とも私もと思ったわけですが、何やかんやで、早々にポールを置き、走り高跳びへと戻りました。
林さんによると、空中動作を、地面でシュミレーションし続けて身体に染み込ませ、実際ポールで持ち上げられた身体が自然に稼働するまで磨きをかけるとのことでした。
日常生活では馴染みの無い姿勢を、まるで生活習慣の所作の様にまで馴染ませるために必要なことは継続です。
ダンスもまた然りであり、お伝えしたいことは、まさにそれです。
深呼吸から静かに始まるダンスレッスンは、後半のビートトレーニングで、ようやく動へと転じますが、その際も、不自然に枠づけして固定された姿勢で動作を繰り返します。
違和感ともどかしさの中に、時々やって来るハマった感。
分かったと感じた瞬間に、また感覚がボヤけて、ついさっき掴みかけたはずのコツを、再び探さなければならないといったことの繰り返しです。
近道があれば教えて欲しい。
しかし近道があったとして、それを選んでしまった瞬間、経験するはずだった物語のエピソードの何章も跳び越えて、いきなりエンディングか、少し遠慮してラスボス手前までいけたとして、何ほどの魅力があるでしょうか。
いっぺん全クリして、強くてニューゲームを始めているのであれば、話は変わりますが、全クリが一体どう言う状況か、よく分からないので、言及を避けたいと思います笑
全体を終えて、林さんから、硬い感じで始まって、どうなるかと思ったが、最後に全部が繋がった様な感じがしたとのご感想をいただきました。
ダンスは連動です。
深呼吸も、禮法も、稼働域に意識を向けていただきますが、とても繊細な作業となります。
うちにうちに、意識を高めてまいりますが、あくまでも身体感覚としての意識です。
究極的には、魂に意識を向けていく形となるのでしょうが、それは現段階で考えることではありません。
身体感覚の研鑽を置き去りにして、魂を意識してしまっては、ダンスを踊ること自体不要の長物になってしまいます。
そこはあくまでも踊るに特化致します。
踊るために、自らの身体と出会い直し、踊ることで、また新たな自分自身を再構築していくことを目指します。
普段動かさない筋肉を稼働させますので、負荷の掛けられた部位は、筋肉痛をおこすことになるかと思いますが、ご安心下さい。
初回限定特典のヒコザの竹酢液200mlキャップ一杯分をお風呂に入れて入浴していただければ、筋肉が緩まり、筋肉痛も軽減されることが期待出来ます。
さぁ、皆さんも、まだ知り得ない自分自身を稼働させて、新たな自分との出会いをご体感下さい。
全力で応援致します。
お気軽にご連絡下さいませ。
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Our Beliefs
Love the life you live. Live the life you love
自分の生きる人生を愛せ。
自分の愛する人生を生きろ。
私たちは、主に竹炭商品の製作・販売を通して地球環境と人の健康の改善とより良い共生を広める活動を行っています。
竹林内で活動する生き物たちへの配慮、自分自身も自然のシステムの一部であるという認識を深め、
生物多様性の意義について学びを共有するため、SNSを通じて日々の想いを発信しています。
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